※これはあくまで、
当時の状況や性格も含めた、
私の場合の話です。
結婚相談所に登録したからといって、
すぐに何かが大きく変わったわけではありません。
淡々とした説明を受け、
プロフィールを整え、
コンシェルジュとの面談を終える。
仕組みとしては、
とてもよくできていると感じました。
希望条件を出すと、
それに合いそうな相手が
定期的に紹介される。
写真と簡単な情報を見て、
お互いに興味があれば、
実際に会って話をする。
合理的で、無駄がない。
「結婚」という目的に向かうには、
よく考えられた仕組みだと思います。
会うこと自体には、すぐに慣れた
実際に活動が始まると、
週末に何人かの方と
会う流れになりました。
一人ひとりと、
1時間前後、向き合って話をする。
最初は多少の緊張もありましたが、
数を重ねるうちに、
その作業自体にはすぐ慣れました。
会話の進め方も、
場の空気の読み方も、
特別困ることはありませんでした。
このあたりは、
仕事柄、人と接することに
慣れていた影響も
あったのかもしれません。
それでも、少しずつ残った感覚
ただ、しばらく続けているうちに、
言葉にしにくい感覚が
少しずつ残り始めました。
話していても、
どこか踏み込まない。
こちらも、相手も、
無意識のうちに
一定の距離を保っている。
決定的に悪いわけではない。
大きな問題があるわけでもない。
でも、
「ここから先に進む感じ」が
なかなか生まれない。
そんなやり取りが、
重なっていきました。
第三者を通す、という構造
結婚相談所では、
当人同士のやり取りに加えて、
それぞれのコンシェルジュが
間に入ります。
相手がどう感じていたか。
どこが良くて、
どこが引っかかっているのか。
それらは、
相手 → 相手のコンシェルジュ →
こちらのコンシェルジュ → 私、
という形で伝わってきます。
仕組みとしては、
必要な配慮だと思います。
感情的な衝突を避けるためにも、
一定のクッションは
大切なのでしょう。
ただ、私の場合、
そのやり取りが
どうしても
精度の低いものに感じられました。
私はもともと、
相手の表情や、
言葉の間、
空気の変化に
注意を向けるタイプです。
目の前で話している中で感じる
「今の違和感」や
「この沈黙の意味」の方が、
後から整理された言葉よりも
多くの情報を含んでいるように思えました。
コンシェルジュからの
アドバイスが悪いわけではありません。
ただ、
この仕組みでできる助言は、
正直、限られている。
そう感じるようになっていきました。
受け身になってしまいやすい、という違和感
活動を続けるうちに、
もう一つ、強く残る感覚がありました。
それは、
この仕組みの中では、
人が受け身になってしまいやすい、
ということです。
結婚相談所に申し込み、
決して安くないお金を払い、
自分から「結婚しに行く」と
決めている。
本来であれば、
かなり能動的な行動のはずです。
それなのに、
実際に会ってみると、
相手から
「結婚の可能性を探ろうとしている」
という姿勢が、
あまり感じられないことがありました。
様子をうかがい、
判断を先に延ばし、
決定的な踏み込みをしない。
それが悪い、という話ではありません。
ただ、その状態が、
とても多く重なっているように見えた。
こう書くと、
少しきつく聞こえるかもしれませんが、
当時の私は、
そう感じてしまいました。
受け身で生きてきた人だからこそ、
コンシェルジュがつき、
判断を補助してくれる結婚相談所を
選んでいるケースも
少なくないのかもしれない。
もちろん、
それは私の勝手な見方です。
ただ、その考えが浮かんだとき、
もう一つの感覚が、
はっきりしてきました。
私が会いたいと思っている人は、
もしかすると、
ここにはいないのかもしれない。
失敗だとは思っていなかった
そう感じるようになったことで、
この場をどう評価するかよりも、
自分がどこに身を置きたいのかを
考えるようになっていました。
この時点で、
「結婚相談所は失敗だった」
とは思っていませんでした。
会うことにも慣れた。
人と向き合う感覚も、
だいぶ戻ってきた。
自分がどういう場面で
違和感を覚えるのかも、
以前よりはっきりした。
ただ、
「ここに長く留まる場所ではない」
という感覚が、
少しずつ固まってきただけです。
ここでできることは、もうやった
ある時、
ふと、そんな気持ちが
浮かびました。
諦め、というよりは、
一区切りに近い感覚です。
ここでできることは、
もう一通りやった。
これ以上続けても、
同じところを
ぐるぐる回るだけかもしれない。
そう思えるようになった時、
私は結婚相談所を
離れることにしました。