AGA編(12) 「介護脱毛」という言葉に、なぜ引っかかったのか

これは、
顔立ちやハゲ方も含めた、
あくまで私の場合の感覚です。

AGA治療を始めてから、
体毛が濃くなったことをきっかけに、
将来や清潔感について
考えるようになりました。

といっても、
その時点では
「脱毛をしよう」と
はっきり決めていたわけではありません。

ただ、
何となく調べている中で、
一つの言葉が
目に留まりました。

「介護脱毛」
という言葉です。

最初は、正直ピンときませんでした

最初に見たときは、
どこか他人事のような
印象でした。

脱毛というと、
どうしても
「美容」や「見た目」の話を
思い浮かべてしまいます。

介護と脱毛。
その二つが
結びつく感覚が、
すぐには分かりませんでした。

でも、なぜか引っかかった

それでも、
その言葉が
頭の片隅に
残り続けました。

理由は、
はっきりしています。

私がそれまで
悩んできたことと、
どこか似た匂いを
感じたからです。

AGAも、
坊主も、
アートメイクも。

すべて、
「見た目そのもの」
というより、

それをどう扱うか
どう折り合いをつけるか

という問題でした。

「任せる」「見せる」という共通点

薄毛を
どう見せるか。
どこまで
人に委ねるか。

自分の中で
線を引こうとして、
うまくいかなかった経験が、
何度もあります。

「介護脱毛」という言葉には、
その延長線のような
ニュアンスを感じました。清潔のため、
という説明以上に、
気持ちの準備
という意味合いが
含まれているように
思えたのです。

このブログでは、深く踏み込みません

ここで一つ、
はっきりさせておきます。

このブログでは、
介護脱毛について
詳しく語るつもりはありません。

介護の現場の話や、
理念の話をする場所は、
別にあります。

ここではただ、
なぜ自分が
その言葉に
引っかかったのか。

そのきっかけだけを、
記録しておきたかったのです。

「同じ線上にあった」という感覚

AGA治療を始めた理由も、
脱毛という選択に
興味を持った理由も、

根っこは
同じだと思っています。

  • 無理をしたくない
  • 完璧を目指したいわけでもない
  • でも、
    何も考えずに
    流されるのも違う

その間にある、
「少し楽になる選択肢」を
探してきただけです。

「介護脱毛」という言葉は、
その延長線上に
静かに現れました。

別の場所で、別の文脈として

介護脱毛については、
介護の現場で
長く働いてきた立場から、
別のブログでまとめています。

そこでは、
見た目の話ではなく、
「任せること」や
「尊厳」という視点から
考えています。

もし、
この言葉に
少しでも引っかかるものがあれば、
そちらを読んでみてください。

このブログでは、
引き続き、
自分自身の選択と
その経過を
淡々と書いていきます。

脱毛も、
AGAも、
坊主も。

どれも、
「正解」を探す話ではなく、
自分なりの落としどころを
見つけてきた記録です。

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